SSSG攻略日記

セガハードを一生遊ぶブログ

天下布武 英雄たちの咆哮

発売日: 1991年12月28日
販売: ゲームアーツ
機種: メガCD
ジャンル: 歴史シミュレーション
価格: 7800円
製品番号: T-45024

メガCDの大容量で送る本格的な戦国シミュレーションゲーム。当時大きな話題となった実写取り込みのオープニングなど、ビジュアル面にも力が入っているが、総勢1200名の武将が登場するデータ量も当時としては破格なものがありました。目玉ソフトがほとんどなかったメガCDの初期を大きく牽引したゲームです。

武将総合能力ランキング


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軍事、政治、魅力の3項目の合計値で、同点の場合は、軍事のより高い方、それでも同じ場合は政治のより高い方を上としています。なお、動画では50位まで紹介しています。

第1位 毛利元就(毛利家)

安芸の一国人領主であったが、後世「謀神」と崇敬されるほどの卓越した戦略眼を備え、厳島の戦いでは陶晴賢率いる主筋の大内軍を打ち破って独立を果たす。さらに尼子、大友両家をも打倒し、中国地方の大半を有する戦国大名へと飛躍した。

第2位 羽柴秀吉織田家

百姓から身を立て、はじめ今川配下の松下氏、次いで織田信長に仕える。清洲城普請、墨俣一夜城など実績を積み、信長の中国攻めでは主戦力として各地を転戦する。所領経営にも尽力し、信望を集めて出世を遂げ、信長の後継となった。

第3位 武田信玄(武田家)

甲斐国の大名。自身の廃嫡を企んだ父の信虎を追放し、家督を継いだ。孫子の旗を掲げ、天下最強といわれた騎馬軍団を率い、甲斐・信濃駿河と勢力を拡大した。好敵手である上杉謙信と五度に渡る戦いを川中島で繰り広げたことは有名。

第4位 斎藤道三(斎藤家)

「美濃の蝮」の異名を持つ、下克上を体現した大名。僧侶から油商人を経て、美濃守護の土岐家に仕える。優れた武勇と智謀で国政を牛耳り、主君の土岐頼芸を追放して美濃の国主となるが、嫡男の義龍の謀反により命を落とした。

第5位 北条氏康(北条家)

後北条家第三代当主。山内・扇谷上杉氏ら旧権力を打ち破り、また甲相駿三国同盟を結んで、関東における支配基盤を確立した。民政制度を充実させるなど政治手腕に優れたほか、歌道の造詣が深く、兵法の習得にも熱心な才人だった。

第6位 立花道雪(大友家)

大友家重臣。元の名は戸次鑑連。勇猛で家臣の統率にも長けた大友家最強の将であった。九州に侵攻した毛利家を退け、筑前の秋月文種を滅ぼすなどして数々の武功をたてる。これらの活躍と、戦場で落雷を斬った逸話から「鬼道雪」や「雷神」と呼ばれ畏怖された。

第7位 黒田官兵衛織田家

豊臣秀吉に天下を取らせた、稀代の智将。小寺家に仕えた後、中国攻めを開始した秀吉の家臣となる。信長に謀反を起こした荒木村重に幽閉されるが、1年後に救出された。以後、秀吉の軍師として中国大返しから天下取りに至る合戦で味方を勝利に導き続けた。

第8位 徳川家康(徳川家)

のちの天下人。戦国三英傑の一人に数えられる。今川家に従属していたが、桶狭間の戦いで、今川義元が討死したのちに自立。織田信長の同盟者として武田家と戦い、信長亡き後、徳川家を天下の一大勢力に押し上げていく。

第9位 上杉謙信(上杉家)

越後の大名。禅寺に預けられていたが還俗し、はじめ長尾景虎と名乗る。各地を転戦して身を立てると、瞬く間に越後を統一。上杉憲政より上杉姓と関東管領職を譲り受けた。次いで関東出兵にも乗り出し、川中島では幾度も武田信玄と戦った。

第10位 太原雪斎(今川家)

若き日の今川義元の教育係となる。義元が当主の座についてからは、小豆坂の合戦で織田軍を撃破、武田・北条との三国同盟を成立させるなど、軍事・政治・外交の中枢を担った。その力量が絶大であったため、雪斎亡き後の今川家は急速に衰退した。

第11位 羽柴秀長織田家

羽柴秀吉の弟。織田家に仕え、軍政両面で秀吉を支える。温厚な性格で知られ徳望は高く、諸大名から兄への橋渡しを頼まれた。しかし領国経営には厳格な態度で臨み、強大な寺社勢力と対立しても処罰も臆せず行うなど、政治感覚にも優れた。

第12位 島津義弘(島津家)

島津貴久の次男。当主である兄の義久は薩摩で全体の指揮をとり、義弘は戦大将として、合戦の指揮をとった。祖父・日新斎から「雄武英略をもって他に傑出する」と評されるほどの猛将で、伊東氏との木崎原の戦いや大友氏との耳川の戦いで自軍を勝利に導いた。

第13位 武田信繁(武田家)

武田晴信(のちの信玄)の弟。父の信虎が、晴信を廃嫡して、信繁に家督を譲ろうとしたほど、文武に秀でていた。晴信が当主となってからは、副将として多くの戦に従軍し、家中の人望も厚く、後世、江戸時代においても人気の武将だった。

第14位 織田信長織田家

織田家当主。戦国の三英傑の一人に数えられる。若い頃は奇矯な振る舞いが目立ち「大うつけ」と呼ばれたが、今川義元を打ち取った桶狭間の戦いを契機に、諸国の大名を次々と打ち破り、天下人への道を歩み始めた。

第15位 真田幸村(真田家)

昌幸の次男。名は信繁。幸村は大坂の陣においての通称とされる。武田家滅亡後、上杉家や豊臣家で人質生活を送る。関ヶ原の戦いでは本拠上田に戻り、父と共に徳川軍を足止めする。九度山配流後の再起と大坂での精強ぶりから、彼の活躍は半ば伝説化した。

第16位 立花宗茂(大友家)

豊臣秀吉に「鎮西一の剛勇」と賞された名将。父の高橋紹運、義父・立花道雪の薫陶を受け、台頭する島津氏の前に劣勢となった大友氏の主力として活躍。幾多の戦いで勝利をもたらした。また剣術・弓術のほか茶道・香道・蹴鞠にも通じた教養人でもあった。

第17位 新納忠元(島津家)

半世紀以上にわたり、島津家の重臣を務めた勇将。沖田畷の戦いなど多くの合戦で活躍。豊臣秀吉九州征伐が始まると、徹底抗戦を主張した。知略に長け、詩歌を愛した風流人でもあり、陣中、火縄の明かりで古今和歌集を読んでいたという逸話もある。

第18位 小早川隆景(毛利家)

毛利元就の三男。強力な水軍を擁する竹原小早川家の養子となり、次男の吉川元春と並び毛利両川の一人として毛利家を助けた。思慮深く智略に秀でており、豊臣秀吉から天下を差配するに足る人物だと信頼され、のち五大老に列せられた。

第19位 鍋島直茂(龍造寺家)

龍造寺家臣。主君の隆信とは、義兄弟にあたる。知勇兼備の名将で、今山の戦いでは夜襲をしかけて大友軍を破り、奇跡的な勝利をもたらした。沖田畷の戦いで隆信が討ち死にすると、その子の政家を補佐。政家が病になると、当主の職務も行い家中を掌握した。

第20位 明智光秀織田家

美濃の豪族。斎藤道三朝倉義景と主を幾度も替え、足利義昭に仕えていた折に織田信長を仲介し両人の上洛のために奔走。以後信長に仕え、信を置かれたが、のち本能寺の変を起こす。外交、築城、軍法をはじめ諸芸に通じる多才ぶりであった。

まとめ

唯一の全部門20点超えの毛利元就がダントツでまさかのトップとなりました。一方で主役のはずの織田信長は軍事面での評価が低くて、よもやの14位とトップ10にも入りませんでした。とはいえ、羽柴秀吉を筆頭に、人材の層の厚さは圧倒的なので、大名として最有力なのは変わりませんけどね。

 

参考文献

 アドバンスド大戦略天下布武 公式ガイドブック(徳間書店